『できない人』だったのか、それとも環境との相性だったのか
- 2026/06/12
- 2026/06/08

先日、百貨店の催事で行列のできる寿司店に並んだ。
目の前では大将が黙々と寿司を握っている。その隣で、売り場担当の方が一人で動き回っていた。注文を聞いて、手書きでメモして、レジを打って、商品を確認して、シールを貼って、箸と醤油を袋に入れる。それが次々に来るお客さんに対して、ほぼ同時並行で続いていた。
しばらく見ていると、その方の動きが少しずつ乱れ始めた。焦りが出てきた。ミスが増えた。隣に立っていた上司の顔に苛立ちが浮かんだ。待たされているお客さんも、表情が固くなっていった。
寿司よりも、その光景の方が頭に残った。
普段、子どもや家庭の支援に関わっているからだろうか。その光景を見ながら、「この人は本当に仕事ができない人なのだろうか」と考えていた。
人はすぐに「能力の問題」にしたくなる
こういう場面を見ると、多くの人は「要領が悪い」「仕事ができない」「段取りが悪い」と思うだろう。実際、その場にいた上司も、おそらくそう感じていたと思う。上司の人の苛立ちは表情だけにとどまらず、指示する言葉や声のトーンにまで変化があった。
でも私は、支援の仕事をするようになってから、こういう場面を少し違う目で見るようになった。
本当に、その人の能力の問題なのか
その方が苦手だったのは、「寿司を売ること」ではなかったかもしれない。
苦手だったのは、複数の作業を同時並行でこなすこと、次々に飛び込んでくる情報を素早く整理すること、急かされながら判断を下し続けること、ミスが許されない緊張感の中で動くこと——そういうことだったのではないか。
もし落ち着いた環境で、一つの作業を丁寧に進められる仕事なら、十分な力を発揮できる人かもしれない。丁寧に梱包する、正確に商品を確認する、お客さんに誠実に対応する——そういった場面では、むしろ輝けるタイプかもしれない。
「できない人」ではなく、「この環境との相性が悪い状態」だったのではないかと思う。
責めるほど、悪循環になる
こういう場面で起きやすいのは、次のような流れだ。
本人が焦る。ミスが増える。周囲が苛立つ。強い言葉が出る。さらに焦る。さらにミスが増える。
責めることで、状況はどんどん悪化していく。「なんでできないの」という言葉は、相手を追い詰めるだけで、何も解決しない。それどころか、もともと持っていた力まで発揮できなくさせてしまうことがある。
これは職場の話だけじゃない。家庭でも、まったく同じことが起きている。
家庭でよく起きていること
朝の準備が遅い。忘れ物が多い。宿題がなかなか進まない。何度声をかけても動かない。
そういうとき、親はつい「やる気がない」「何回言わせるの」と思ってしまう。気持ちは分かる。毎朝繰り返されていれば、イライラするのは当然だ。
ただ、少し立ち止まって考えてほしいことがある。本当に、やる気の問題なのだろうか、と。
朝の準備が遅い子どもには、見通しを持つことが苦手な子もいる。何から始めればいいかの優先順位がつけられない子もいる。前の晩から次の日のことを考えて眠れなくなるほど不安が強い子もいる。そういう子どもが朝にうまく動けないのは、意志の問題ではなく、構造の問題だ。
子ども自身に課題がある場合もある。
ただ、その課題が表面化している背景には、
・家庭の関わり方
・学校環境
・本人の特性
・求められている課題の難易度
が複雑に絡み合っていることが多い。私たちが見ているのは、その全体像である。
特性理解は、甘やかしではない
「特性を理解する」と言うと、「できないことを許す」「仕方ないと諦める」ことだと思われることがある。でも、そうではない。
特性を理解することは、その子に合った方法を考えるための出発点だ。どんな環境なら動きやすいか、どんな声かけなら伝わるか、どんな順番なら準備が進むか——そういうことを見つけていくための、最初の一歩だ。
責めることはできる。でも責めることで、子どもは動けるようにはならない。動けるようになるためには、その子に合った関わりが必要だ。
ただし、子どもは大人と少し違う
ここが、この話の核心に入る部分だと思っている。
大人であれば、自分の特性をある程度把握して、環境を選んだり、自分で工夫したりすることができる。得意不得意を知った上で、仕事や生活を調整していける。
でも子どもは、まだ発達の途中にいる。
だから「この子はこういう子だから」と今の姿で決めつけることは、早い。
片付けが苦手、人に頼れない、我慢が苦手、自分で決められない——これらは確かに今の姿だ。でも、それが変わらないとは限らない。経験不足で、まだやり方を知らないだけかもしれない。一度もうまくいった経験がないから、「自分には無理」と思い込んでいるだけかもしれない。
みちびきでは、「できない理由」を理解しながらも、「できるようになる可能性」を同時に見ている。今の姿を受け止めながら、でも可能性を閉じない。その両方を持ちながら関わることが大切だと考えている。
家庭で大切なのは、経験を設計すること
特性を理解して、環境を整えること——これは重要だ。でも、それだけでは足りない。
子どもが育つためには、経験が必要だ。頼る練習、待つ練習、気持ちを伝える練習、自分で考えて決める練習。こうした経験を、日常の中に意図的に作ることが大切になる。
「今日は自分でランドセルを準備してみよう」「困ったら先生に言えるかな」「嫌だったことを話してみて」——小さく見えるこうした場面が、実は子どもの力を育てる土台になる。
みちびきでは、子どもに育ってほしい力を「自分を高める力」「自分と向き合う力」「他者とつながる力」という3つで捉えている。この力は、教えて身につくものではなく、経験の積み重ねの中で育っていくものだ。だから、家庭でどんな経験ができるかを一緒に設計することが、支援の大きな柱になっている。
みちびきが見ているもの
支援の場で私たちが見ているのは、問題行動そのものではない。
子どもの特性、親の関わり方、家庭の中で起きている構造、学校環境との相性——こうした全体像を見ながら、「誰が悪いか」ではなく「何が起きているか」を整理することから始める。
子どもが動けないとき、その背景には必ず何かがある。それを見ずに「やる気の問題」「性格の問題」として片づけてしまうと、本当に必要なことが見えなくなる。
おわりに
百貨店で見たあの光景から、改めて思う。
人はうまくいかないとき、誰かを責めたくなる。責任の所在を明らかにすることで、自分の不安を落ち着かせようとする。その気持ちは分かる。
でも本当に必要なのは、責任探しではなく、構造の理解だ。
何が起きているのか。どんな状況が、その人をそうさせているのか。何が変われば、動けるようになるのか。
子どもも大人も、環境と関わり方によって、力の発揮の仕方は大きく変わる。「なんでできないの?」という問いより、「何が起きているんだろう?」という問いの方が、ずっと多くのことを教えてくれる。
そしてもう一つ。子どもには、今の姿だけで判断されない権利がある。今できないことが、これからもずっとできないとは限らない。経験を積み重ねながら、少しずつ変わっていく。その可能性を信じることが、関わる大人の最も大切な仕事だと思っている。
家庭教育は、子どもを思い通りに動かすための技術ではない。
子どもが自分の力で考え、自分の足で歩いていけるようになるための土台づくりだ。だからこそ私たちは、「なんでできないの?」ではなく、「何が起きているのだろう?」という問いを大切にしている。
プロフィール

佐藤 博家庭教育コーディネーター/
代表カウンセラー(みちびき)
15年間、不登校や母子登校のご家庭を訪問支援。子どもの「自分で社会とつながる力」を育む土台づくりに尽力。文科省協力者会議委員やいじめ対策委員も歴任。「傾聴で終わらせない、変化につながる関わり」が信念。お子さんへの直接支援に加え、ご家庭の課題を可視化し、親御さんと共に解決するスタイルが特長。家庭教育等の講演・研修も多数。「家庭からはじまる社会的自立支援」を推進します。

鈴木 博美家庭教育コーディネーター/
統括ディレクター(みちびき)
家庭教育アドバイザー・訪問カウンセラーとして9年間、不登校や親子関係に悩むご家庭を支援。2025年、支援10年目を迎えます。全国の家庭への直接支援を通し、親御さんとの対話で子どもの社会的自立をサポート。家庭内の会話や関わり方を可視化し、非認知能力を育む声かけや実践的なアドバイスで親子に伴走。保護者向けセミナーや講演も多数。「支援に迷う方こそ安心して相談できる存在」を目指し、家庭の再構築に丁寧に取り組みます。











