夏休み明け、始業式は行けたのに続かない理由|親が見るべきサインと対応
- 2026/09/08
- 2026/09/04

夏休みが終わる前から、
「新学期、ちゃんと行けるかな」
と気にかけていた方も多いと思います。
始業式の朝は少し渋ったけれど、なんとか登校できた。あるいは、拍子抜けするくらい普段どおりに家を出て行った。
そのとき親としては、
「よかった」 「これなら大丈夫かもしれない」
と、少しほっとしたのではないでしょうか。
ところが、2日目、3日目になると朝起きられなくなる。「行きたくない」と言い始める。お腹が痛い、頭が痛いと訴える日が出てくる。遅刻が増える。1週間のうちに休む日が出てくる。
そうなると、
「始業式には行けたのに、どうして?」
と戸惑う方が少なくありません。
この記事でお伝えしたいことは一つです。
「始業式に登校できたこと」と「新学期の学校生活を継続して送れること」は、必ずしも同じではない、ということです。
始業式に行けたかどうかだけで「大丈夫」「もう不登校」と判断するのではなく、その後の数日間で、子どもの様子がどう変化しているのかを見ていくことが大切です。この記事では、その見方を具体的に整理していきます。
始業式には行けたのに、その後続かなくなるのはなぜ?
始業式には行けたのに、その後続かなくなる背景にはいくつかの要素が考えられます。どれか一つに当てはめて「原因はこれだ」と決めつけるためのものではなく、「うちの場合はどれに近いだろうか」と考えるための材料として読んでいただければと思います。
始業式と通常の学校生活では、条件が違うことがあります
始業式は、多くの学校で時間割や過ごし方が通常日と異なります。授業時間が短かったり、給食がなかったり、宿題や部活動がまだ本格的に始まっていなかったりすることがあります。学校によって内容や日程は異なるため一概には言えませんが、始業式という一日と、その後の通常授業・給食・宿題・部活動が積み重なる日々とでは、子どもにかかる負荷そのものが変わってくる可能性があります。
始業式に登校できたことは、あくまで「その日の条件下で登校できた」という事実です。通常の学校生活が本格的に始まってから、負荷が変化していくことは十分に考えられます。
「初日くらいは」と、本人なりに頑張っていた可能性もあります
新学期の始まりという区切りのなかで、
「初日くらいは行かないと」 「みんなが行く日だから」
というように、本人なりに気持ちを奮い立たせて登校する場合があります。もちろん、すべての子どもがそう考えているとは限りませんし、単純に「普通に行きたかったから行った」というケースもあります。
ここで大事なのは、本人が始業式当日にどう考えていたかを親が推測して決めつけることではなく、
その登校に、本人にとってどれくらいの負荷がかかっていたのか
を、その後の様子から見ていくことです。「行けたかどうか」という結果だけでは、そこにかかっていた負荷の大きさは見えてきません。始業式から帰ったあとの疲れ方、翌朝の様子、睡眠や食事、家庭でのイライラ、翌日の学校についての言動など、その後の変化もあわせて見ていきます。
夏休み前からあった困難が、再び表面化することがあります
友人関係、先生との関係、学習のつまずき、集団活動への苦手さ、教室という環境そのもの、親と離れることへの不安、本人の特性と学校環境との相性など、夏休み前から何らかの難しさを抱えていた場合、それが夏の間に自然に解決していたとは限りません。
学校から離れている間は、その難しさが表面化しにくくなっていただけ、ということもあります。新学期が始まり、同じ環境に戻ることで、以前と同じ、あるいは似たかたちで難しさが表れてくる場合があります。
学校生活が始まってから、初めてわかる難しさもあります
そしてもう一つ、見落とされやすい視点があります。
夏休み中や始業式の段階では、本人にも、親にも、まだわからなかったことがあるということです。
実際に通常授業を受ける、教室で長時間過ごす、友人と継続的に関わる、宿題が始まる、集団活動に参加する。こうした学校生活が本格的に動き出して初めて、
「ここが思ったよりしんどい」 「この時間がつらい」
ということが本人のなかで見えてくる場合があります。
これは、「本人は夏休み中から本当は気づいていたのに、言わなかっただけ」ということではありません。本人自身も、実際にその場面に立ってみるまで、何が負担になるのか分からないことがあります。
「学校へ行った・休んだ」だけでは見えないサインがあります
始業式に行けた、2日目も行けた、3日目も行けた。だから順調、とは限りません。逆に、途中で1日休んだからといって、それがそのまま不登校の始まりとも限りません。
登校できたかどうかという結果の裏側で、次のような変化が起きていないかを見てみてください。
- 朝起きる時間が、以前より遅くなってきた
- 支度に、以前より時間がかかるようになった
- 「お腹が痛い」「頭が痛い」といった訴えが増えた
- 翌日の学校について、何度も確認してくる
- 親への確認や「一緒に来て」といった要求が増えてきた
- 帰宅後、以前よりも極端に疲れている様子がある
- 帰宅後のイライラや親子間のトラブルが増えている
- 宿題や翌日の準備に取りかかりにくくなっている
- 寝る前になると、不安そうな様子が強くなる
- 親の付き添いや手助けが、少しずつ増えてきている
- 学校での過ごし方について、先生から以前と違う様子を聞くようになった
これらのどれか一つが見られたからといって、それだけで「不登校の前兆」と決めつける必要はありません。大事なのは、以前と比べてどう変化しているか、複数の変化が重なっていないか、どのくらいの期間続いているか、本人の苦痛がどの程度あるかを、あわせて見ていくことです。
同時に、一日休んだからといって、それがそのまま不登校になることを意味するわけでもありません。登校できた・できなかったという○×だけで、子どもの状態を評価しないことが、この時期にはとくに大切になります。
親が見るべきなのは「どこから難しくなっているか」
ここからは、実際に何を見ればよいのかを、もう少し具体的に整理していきます。
① 始業式のときと何が変わったのか
時間割、通常授業の有無、宿題、給食、友人関係、行事、部活動、登校時間、親の付き添いの有無、朝の支度にかかる時間。始業式のときと比べて、この数日でどこが変わったのかを、まず洗い出してみてください。
「学校が始まったから」とひとまとめにするのではなく、具体的に何が変わったのかを見ることで、その後の観察がしやすくなります。
② どの場面から難しくなるのか
「学校が嫌」という一言だけで終わらせず、もう少し場面を分けて見てみてください。
起きる → 着替える → 朝食をとる → 準備をする → 家を出る → 通学路 → 校門 → 教室 → 授業 → 休み時間 → 給食 → 午後の授業・活動 → 下校 → 宿題や翌日の準備
こうした流れのなかで、「どの場面から難しさが強くなるのか」「どの場面では比較的過ごせているのか」を見ていくと、漠然とした「学校が嫌」よりも、具体的な難しさの所在が見えてくることがあります。
ただし、これは本人を問い詰めて聞き出すためのものではありません。日々の様子を親が観察するための視点として使ってください。
③ 「できないこと」だけでなく「何ならできているか」
家からは出られる。学校の近くまでは行ける。校門までは行ける。特定の授業になら参加できる。友人とは話せている。午後からなら登校できる。親が一緒に、ある地点まで付き添えば行ける。
こうした「今できていること」も、あわせて見てください。すべてができる、すべてができない、という二択ではなく、現在どこまでならできているのかを把握することが、今どのくらいの支援が必要なのかを考える手がかりになります。
以前できていたことだけを基準にするのではなく、「今の状態でどこまでできているか」を見ることがポイントです。
④ 登校した日と休んだ日の「その後」も見る
登校できた日を「成功」、休んだ日を「失敗」と単純に分けないでください。
登校した日については、学校でどう過ごしていたか、帰宅後の様子はどうだったか、翌朝はどうだったかを見てみてください。休んだ日については、身体症状や気分がどう変化したか、休むことで少し回復した様子があったか、その翌日はどうだったかを見てみてください。
ここから、「休ませたから悪化した」「行かせたから改善した」というような単純な因果関係を導き出す必要はありません。あくまで、その後の経過を継続して見ていくための材料として捉えてください。
「1学期はできていたから」と急がず、今必要な支援量を見る
とくに、母子登校や強い行き渋りがある家庭で起こりやすいことですが、たとえば1学期の終わりには校門まで一人で行けていたのに、9月になって「教室まで一緒に来て」と言うようになる、ということがあります。
このとき、
「1学期にはできていたのだから、一人で行きなさい」
と以前の状態をそのまま求めることも、
「今はしんどそうだから」
と、本人が今できる部分まですべて親が引き受けてしまうことも、どちらが正しいとは一概には言えません。
- なぜ今、以前より支援が必要になっているのか
- 現在、本人はどこまでなら一人でできるのか
- どの部分は当面支えたほうがよさそうか
- どの部分は本人に任せられそうか
こうした点を見ながら、支援の量を調整していくという考え方が現実的です。一時的に支援を増やすことが必要な場面もありますが、それをそのままずっと固定する必要もありません。子どもの状態の変化にあわせて、支援のかたちも見直していくものだと捉えていただければと思います。
「少し様子を見る」は、何もしないことではありません
「しばらく様子を見ましょう」という言葉を聞くと、「とりあえず何もしないでおく」という意味に受け取ってしまう方もいます。しかし、様子を見るという期間は、本来もっと能動的なものです。
この期間には、次のようなことを観察してみてください。
- どんな日に難しくなりやすいか
- どの場面から止まりやすいか
- 現在何ならできているか
- 親がどの程度、支援や付き添いをしているか
- 学校ではどう過ごしているか
- 身体症状はどう変化しているか
- 帰宅後や休日の様子はどうか
そのうえで、新学期が始まったことによる一時的な変化が大きいのか、学校生活の中に具体的な困難があるのか、これまでの支援のかたちを見直す必要があるのかなど、今の状態に影響していることを整理していきます。
ただし、こうした整理を親だけで行い、原因を診断的に特定しようとする必要はありません。むしろ、家庭だけで判断がつきにくい部分だからこそ、第三者と一緒に整理するという選択肢があります。
すべてを細かく記録する必要はありませんが、数日間だけでも、
朝の様子/どこまでできたか/身体症状/学校での様子/帰宅後の様子
を簡単に残しておくと、「なんとなく悪くなっている」ではなく、どこに変化があるのか整理しやすくなります。
こうした情報を整理しながら支援を考える「見立て」については、こちらの記事で詳しく説明しています。
▶ [不登校・母子登校を相談すると何をする?|支援でまず行う「見立て」とは]
家庭だけで様子を見続けない方がよい場合もあります
始業式後の行き渋りや欠席では、家庭での様子を見ながら対応を考えることもあります。一方で、家庭だけで様子を見続けるのではなく、学校や専門機関などへの相談を検討した方がよい場合もあります。
- 強い身体症状が続いている
- 睡眠や食事に大きな変化が出ている
- 気分の落ち込みが著しい
- 本人の苦痛が強く見える
- 自傷や「消えたい」といった言動がある
- いじめが疑われる
- 学校生活のなかに具体的で重大な問題がある
こうした状態が見られる場合は、学校、スクールカウンセラー、医療機関、教育相談窓口、発達支援機関など、状況に応じた相談先につなげることを検討してください。とくに自傷や希死念慮に関わる内容がある場合は、家庭教育の範囲だけで対応しようとせず、専門機関への相談を優先してください。
相談先を利用することは、現在の状態を整理し、その子に必要な対応や支援を考えるための一つの方法です。
まとめ|「始業式に行けたか」ではなく、その後の変化を見る
始業式に登校できたことは、一つの事実です。しかし、それは「もう大丈夫」を意味するものでも、その後に一日休んだからといって「不登校になった」ことを意味するものでもありません。
見ていただきたいのは、
- 始業式のときから何が変わったのか
- どの場面から難しくなっているのか
- 本人は現在、何ならできているのか
- 登校した日・休んだ日のあと、どう変化しているのか
- 現在、どの程度の支援が必要な状態なのか
といった点です。「行かせるか、休ませるか」だけを考え続けるのではなく、「この子に今、何が起きているのか」を整理することから始めてみてください。
今のご家庭で何が起きているのか、自分たちだけでは整理しにくい。どこまで支えて、どこから本人に任せればいいのかわからない。いろいろ試してはいるけれど、次に何を変えればいいのか迷っている。
プロフィール

佐藤 博家庭教育コーディネーター/
代表カウンセラー(みちびき)
15年間、不登校や母子登校のご家庭を訪問支援。子どもの「自分で社会とつながる力」を育む土台づくりに尽力。文科省協力者会議委員やいじめ対策委員も歴任。「傾聴で終わらせない、変化につながる関わり」が信念。お子さんへの直接支援に加え、ご家庭の課題を可視化し、親御さんと共に解決するスタイルが特長。家庭教育等の講演・研修も多数。「家庭からはじまる社会的自立支援」を推進します。

鈴木 博美家庭教育コーディネーター/
統括ディレクター(みちびき)
家庭教育アドバイザー・訪問カウンセラーとして9年間、不登校や親子関係に悩むご家庭を支援。2025年、支援10年目を迎えます。全国の家庭への直接支援を通し、親御さんとの対話で子どもの社会的自立をサポート。家庭内の会話や関わり方を可視化し、非認知能力を育む声かけや実践的なアドバイスで親子に伴走。保護者向けセミナーや講演も多数。「支援に迷う方こそ安心して相談できる存在」を目指し、家庭の再構築に丁寧に取り組みます。











